世界一強い、お父さん。


視界の定まらない男性が登場し、パソコンの画面に「CAN」とタイプする・・・

どうやら、障害を持った子供が生まれ、車椅子による生活を送ることになった。

その障害を持った子供が、今度は海の上でボートに揺られ、そのボートを一人の男性が引っ張って居ます。

この二人が、時には山をバックに自転車で進む姿、時には海を背景に自転車で進む姿、時には大学の中を車椅子で進む姿が次々と現れます。



一体なんの事か分からなかったですか?



これは、ディック・ホイトという、お父さんと、その息子リック・ホイトのホイト一家の生涯を綴ったビデオです。このビデオにはこんな背景があります。

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出生時にへその緒が首に巻き付いていたリックは、脳に障害が残り、
四肢を動かすことが出来なくなった。

生後9ヶ月の時、ディックと妻・ジュディに医師は宣告しました。

「一生、この子は植物人間状態です。施設に入れなさい」と。

 しかし、ホイト夫妻は耳を貸しませんでした。

息子が、部屋の中を移動する両親を目で追っていることに気づいていたからです。

「きっと、この子は意識を持っている。」そう信じていたのです。

リックが11歳の頃、二人はタフト大学へ息子を連れて行き、

リックが意思疎通できるよう手を貸してくれないかと請願しました。

「無理ですよ。彼の脳は全く機能していませんよ。」そう返事が返ってきました。

 「では、何かジョークを言って下さい。」ディックは食い下がりました。

彼らがその通りにジョークを言うと、リックは笑いました。

彼の脳が活発に機能していることを証明してみせたのでした。

この一件で タフト大学の協力が得られるようになり、

リックの頭の横にスイッチに振れることでカーソルを動かせるコンピュータを取り付けることが出来ました。

この装置によって、ついにリックは家族と意思疎通できるようになりました。

 やがて月日は流れ、リックは高校生になりました。

そこで、リックとディック親子の一生を変える出来事が起きました。

ある日、高校の同級生が事故で全身麻痺になり、チャリティーラソンが開催されることになりました。

それを聞いたリックがある言葉をタイプしました。


「父さん、僕もやりたい。」と。


 ディックはこの言葉に驚きました。

当時のディックは自他共に認めるデブで、1kmも走れないような男でした。

そんな男がどうやって息子を押して8kmも走るっていうんだ?

それでもディックはやってみました。

走った後のディックの感想は「2週間、体中が筋肉痛でもう。。。」

でも、息子の掛けたこの一言が、ディックの人生を変える事になりました。


 「一緒に走っている時、僕、自分が障害者じゃなくなったような気分になったよ!」


父は、息子にその気分を出来るだけ与えてあげることに生涯を捧げることになりました。

例えどんなに筋肉痛になろうとも。

それから二人は練習に練習を重ね、1983年のあるマラソン大会で、

翌年のボストンマラソン出場資格のタイムに達っするまでに至りました。

「次はトライアスロンに出場してみたらどうだ?」あるとき、友人がディックに言いました。

泳ぎ方も知らない、6歳以来自転車を漕いだこともない男が、

どうやって50kgの息子を引っ張ってトライアスロンに出場するっていうんだ?

でもやっぱり、ディックはやってみた。

「息子に、健康な人が体験出来る、あらゆる体験をさせてあげたかったから」

二人はこれまで、もっとも過酷とされるハワイのアイロンマンレースを含む
トライアスロンに200回以上も出場しています。

ある時、ある人がディックにこう問いかけました。

「一人で走ってどんな結果がでるか、やってみたらどうだ?」

ティックは即答しました。

「まさか!嫌だよ!」と。

「僕が走る理由はただ一つ。

息子と共に走り、泳ぎ、漕ぐ中で、息子が見せる、ひまわりのような笑顔が見れた時の、

あの「最高の気分」に浸るため。ただ、それだけなんだ。一人で走ったって意味が無い」

そんな父親に対して、リックはこうタイプします。

「疑う余地も無く、僕の父さんは今世紀最高の父親だよ。」と。
 
その後、リックは、ホームケアを受けながら一人暮らしをはじめ、ボストンで働くようになりました。

ディックは軍を退役し、マサチューセッツ州に在住、

二人は別々の場所で過ごすことになりましたが、二人は出来るだけ共に時間を過ごすようにしていました。

ある、父の日の晩、リックは父に夕食をおごる予定でした。

しかし、彼が本当に贈りたいものはお金では決して買えないもの、リックはこう綴ります。




「僕がお父さんに一番あげたいものはね、今度は父さんを車椅子に座らせて、一回でもいいから押してあげたいんだ。」

一人で満足に動けない人が、そんな事が出来るわけがないと思う人も居るかもしれません。

でも、彼は続いてこうタイプしました。




「CAN」

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この話を知った時は、言葉がでませんでした。

人が生きるってことは、

人に感動を与えられるのです。