旅2011
社会人六年目。
気がつけば30歳手前の社会人になっていた。
一日の時間の使い道と言えば、『仕事』に対して考えることに大半を使うようになった。
学生の頃はと言えば、強制的な『仕事』に対しての時間は少なかったはずだけど、
毎日なにかしら忙しかったことを思い出す。
最近では、「平日勤務五日。休日二日。」といった、丁度いい人生のセットサイクルにのっかり、
その中で試行錯誤を繰り返す毎日だ。
頭の中は、仕事やプライベートのことばかり考えていて、たまには何も考えない時間がほしい、という気持ちも特にない。
どちらが楽ということではなくて、どちらも大変な作業だ。
人は「季節の変わり目」・「いつもより長い長期休暇」の際に、纏めて様々なことを考えようとする。
案外、時間の問題であって、そんなにうまく考えられることはない。
そういうことが、どこかでわかっているからこそ、
強制的に場所を移動したくなる。
「リフレッシュ」といううまい言い訳を裏に、人は強制的に生活場所を変えることでなにかを探して、なにかを求めているのだろうか。
どんなに場所を移動しても、数日後には元の場所に戻ってくることも知っていて、
旅が始まる前はなにかを達成するためには十分だと思うような時間も、
時間が立つごとに加速し、全然足りなかったことを経験する。
○泊○日の旅の一日目が重要なように、一日目というものを不思議と充実する。
環境の変化に対応するため、常に気をはっているからなのか。
一日目を経験すると、「こんな日があと○日分もある」と幸せな気分にもなったりする。
しかし気付けばいつも最終日だ(笑)
人は「慣れる」ことで時間の経過を加速させ、
人は「慣れ過ぎる」ことでなにかを見失う。
互いの「慣れ」の掛け算は、やがて「いつの間にこんなに時間がたったのだろうか・・・」という
方程式を導くことになる。
そんなことをどこかで思うことを嫌がっているのか、
人は旅になにかを求め、また旅をする。
もしかしたら、
普段の、目の前にある風景の生活が旅であり、
リフレッシュのつもりの旅は、ただの意味のない散歩くらいな時間や位置づけかもしれない。
普段の旅でもたまにする散歩は気持ちがいいもんだ。
そんな心の気持ちよさを求めて、
また旅をしようと思う。