サーフトリップ2011

元々サーフィンは趣味程度。

高校時代から、仲間たちと時間があれば行き、

千葉や茨城への1泊2日の旅行をかねてフラッといっていたくらい。

サーフィンもスッキリするけど、その夜のバーベキューがなんともいえない。


大学の卒業旅行で地元の仲間とオーストラリアに8泊10日のサーフトリップをしたことが
今でも懐かしい。

バイロンベイでカレントに流されて大変だったことを覚えている。


※その頃の写真(2006年2月時)

当時は23歳。今から5年前。



そんなことを思い出しながら、4月29日の午前0時に出発。

流石にこれ以上荷物積みこめないでしょ、というくらいのパンパン具合。
落ちそうな鍋がいいね。

この車に男5人が乗り込み、運転者は2時間ごとにローテーション。
助手席をめぐるジャンケンはこの旅の疲労度と決める大事な儀式になった。


GW初日の夜中〜明け方というのに東名高速道路は大渋滞。

気がつけば後ろの席はこんな状態。

旅行初日というか、出発して数時間でこんな状態・・・というのもショウガナイ。
出発したのはGW突入の夜中。仕事でくたくたになっている状況からの
「宿なし、渋滞覚悟サーフトリップ1週間・・・」と、今思えば「修行」のような旅でした。


男5人であり、「宿なし、渋滞覚悟サーフトリップ1週間」ともなれば、計画はとくになし。

最終ゴール地点(四国)だけ決まっており、その場の波状況で行き先が変わるという旅行。


予定よりも道が混んでいたため、身体の慰安もかねて浜松あたりのポイントで、この旅初のサーフィン。

浜松の海はものすごく冷たくて、30分くらいで海から上がり、
眠気もあったせいか、浜辺で2時間ほど爆睡。。。起きた時は寒さと、フルスーツを着たままの不自由さから夢かと思った。

友人たちは自分とは違う、本物のサーファーのため3時間くらい海から出てきませんでした。

お腹が空き、近くの「むらまつ」という食堂でご飯を食べることに。
※ここ、食べログにもなにも情報がのっていませんでした。

味、とても美味しかったです。ただ、後輩のKが海老アレルギーのため、天ぷら盛り合わせを「海老抜き」で何度も頼んでいたにも関わらず、「お待ちどうさま」ときた天ぷら盛り合わせには、しっかり海老が2本乗っていました。

当然本人はその海老を食べられないため、目の前にすわっている二人にパクパクと一瞬食べてくれていた。

※なにがどうなったかは謎だが、この海老アレルギーの後輩Kはここから丸一日、なぞの吐き気と腹痛に苦しんでいた。


渋滞により中々進まないため、皆徐々に疲れが見え始める。
途中のスーパー銭湯でサウナに入り、2時間ほど仮眠をすることに。


夜中の2時から出発!
休憩したことが功を奏し、道が空いている。
明け方には明石海峡大橋につきました。


ここから何を間違ったか、四国の道事情がよくわかっていないため、
徳島〜高知まで山道をつかっていくことに。。。

ここでかなりの時間をつかうことになった。

でも旅ってそういうもの。その場その場でなにかしらの「来てよかった」と思えるような
そんな場所に出会うことができる。

それがここ。ここがどんな場所かは分からない。なんていうところなのかもわからない。
ただ、景色はとても綺麗で、心がすっきりした。そんな感じ。




目の前にこんな岩山があったから登ってみた。


そしたらびっくりするくらいの景色がそこには広がっていた。

ここまでで東京を出発してから約一日。

いろいろ書きたいことは多いけど、一言だけ言えるのは
「旅はやっぱり最高」だということ。


テント生活のバーベキューの味は、
そこまで大変な思いをして、疲れている中、テントはって、料理までつくって、
ご飯が炊けるまで待ち、「うまく炊けるかな・・・」という不安もありつつ、15分の蒸らす時間をじっと待つ。

15分たち、皆でそっと蓋をあけ、覗き込むとそこには白銀の真っ白な銀シャリが!

「ヤッホー!!」と声を上げ、皆でハイタッチ。


いつも当たり前のように、機械を使いご飯を炊いているけども、
手間暇かけた分だけ、それに力をそそいた人数の分だけ
美味しい経験と、忘れることの出来ない味がそこにはある。


旅って何度いっても


やっぱりいいですね(^_^)